更新
情報

晴れ時々某月某日

どのように話を聞いているのかと問われる機会が増えた。現役の支援者さんや従事を目指す方のほか、我が子の話をもっと聞きたいという方からもあった。問われたことに対してはなんでも答えるようにしているが、僕は技術面としての聞き方よりも相手との向き合いが大切だと思っている。なのでこの問いに関しては、ほぼ向き合い方について話すことにしている。


先日ある支援者から「相談者との関係がうまく作れない」との相談を受けた。両親との関係についての相談で、相談者自身が無職であることがなにか影響していると、その支援者は見立てている。どうやら相談を進めていくうちに相談者から「もういい」と怒りや呆れを含んだ形で関係を絶たれようとすることが起こるらしい。僕はもっと話が聴きたくなった。


関係を絶たれようとする場面を思い出してもらいながら、支援者さんと二人で過去のやり取りを振り返る。するといずれも似た場面で起きていることがわかった。この相談者さんだけではなく、過去に何度か同じ経験をしていることもわかった。振り返りを進めていくうちに、無職であることが話題の中心になると、その支援者は無意識で「働くこと」を勧めていたことが確認できた。さて、どうして働くことを勧めてしまうのか。無職を否定的に捉えており、そのことに無自覚だったからである。


物事の捉え方はそれぞれあって当然で、また自由である。支援者が無職に対して否定的であっても問題はない。ただ相談者に対してどのように影響、作用するのかわからないので、自分はどのような考え方であるかを自覚しておく必要はある。そうすれば物事の受け取り方も変わり、自ずと向き合い方も変わるだろう。そしてこれは相談機関に限った話しではない。


肯定も否定もせずそのままを受け止めるのが理想である。僕はどんな考え方があっても悪くないだろうというのが基本的な立ち位置なので「子どもを産むべきではなかった」と言われても「ああ、そうなんですね」と素直に言える。そしてどうしてこういう風に思うのだろうと考える。


聴き方とはイコール向き合い方と言っても悪くないのではなかろうか。今日パソコン作業中にミミがその上に乗ってきて長文が台無しになった。僕は「そうなんですね」と小さくつぶやいた。


カテゴリーリスト


痴的好キ心 カテゴリーリスト



古本なるやのオススメ

古本なるやの店主のページ