某月某日
夜の事務所仕事を終えて、その足でいつものホームレスさんのところへ。
これまでと変わらずに過ごす様子を見ながらあれやこれやと談笑し、会話の流れで仕事ではなくプライベートで来ていることを伝えると驚きと同時になにか考え込む素振りを見せたのがとても印象的だった。そのホームレスさんにとって、これまでとなにか違う要素なのだろう。普段の差し入れはコンビニホットケーキとココア、それに煙草二箱なのだが、今日はパートナーが作ってくれたおにぎりだった。中の梅干しは僕の母親が作った梅干しだよと伝えると、うれしいねぇ美味しいねぇと食べてくれた。
目立ってきたごみを持って帰るよと提案するが、前回と同様、なにか適当な理由をつけてはそのことを断るホームレスさん。この人にとってこのごみは捨てられたくないものなのだろう。福祉サービスを利用すればもっと快適に過ごせるのにその提案も自ら断りホームレスを選ぶのは、ひとり孤独に部屋でいるよりも外にいた方が人と繋がれるからなのではないかと考えている。一見不健康に見える今の環境はこの人にとってはよほど健康的なのかもしれない。そう考えるとごみは人と繋がるツールとなるのだ。
ここはあなたの住んでいい場所ではないと、知らない大人から説教されることもあるらしい。そのことを聴いて、お前の場所でもないだろうと僕は言いたくなったが、そんな危険があることも今日も知ることができた。
定期的に通い始めて半年近くが経つ。早く支援先に繋げよという意見も聞こえてくるが、僕はこのような関係が必要なのではないかと考えている。近くでは酔った大人がなにかを喚き、若い子たちが大きな音を立ててバイクを乗り回している。その近くでホームレスとケタケタと笑いながら過ごすおじさんがいても悪いことはないだろう。
帰宅後また釣りエサを用意し忘れたことに気づき、明日の午前をどう過ごそうか、僕はこの子に相談している。