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晴れ時々某月某日

僕のことを先生と呼ぶ中学生がいる。
先に多くの時間を生きてるから先生といえば先生だけど、実際はたんなるおじさん。文字通り、先に多く生きているから先生なのだとすると、まず親が先生で、祖父母や兄姉も先生となり、近所の人たちも先生となる。見渡せば先生だらけになってしまうのだが、その選び放題の中からあえて僕を選んでくれたのなら、この際僕は先生と呼ばれてみてもいいかのなと思ってみたりする。

ゲームや音楽、映画とひとりで過ごす時間が大半のその中学生kは、お店にくるとあれをやろうこれを観ようとたくさんのことを誘ってくる。全然分からない僕は彼の言うままゲームをスマホにダウンロードし、武器を調達、まっすぐに歩くことのできないまま敵に遭遇しては叩き切られている。そんななかkはあっという間に手の届かないようなレベルアップを済ませ、相変わらず壁に向かって攻撃している僕を見かねてか、いつの間にかYou Tubeで音楽を聴き始め、その片方のイヤホンをこちらに渡す。パソコンではkのおすすめ映画が流れていて、気がつくと僕は音楽を聴きながら映画のシーンに合わせてゲームキャラクターを操作していた。

こういった時間をどれだけか過ごしてきたことで、kは僕からの質問に徐々に答えてくれるようになった。家庭のことや学校のこと、これまでのことや、これからのこと。その場しのぎの様子のときもあれば、本音だろうなと思うときもあり、僕はそれぞれで満足している。そのなかでこころが動かされる瞬間があれば尚よしで、僕はkから学ばされることになる。その時kは僕の先生となる。

先生とはいったいなんなのだろう。先生とはただ先に生きてるだけではなく、知らない道を先に生きて歩いているのが先生なのかもしれない。世の中は知らないことだらけ。先生がたくさんいてそれはそれで安心だ。しかしkは僕のどの道を指しているのだろう。と、考えるのも面倒なのでわからないままにしておく。

その日の晩、僕は夢の中でとても優雅に空を飛んでいたところ、森の影からロケット弾により撃ち落とされた。もしかすると相手はkだったのかもしれない。さすが先生。


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