伝統
何か新しいものが作られる場合、まっさらなところから突然ポコッと作られることは少なく、これまでの形が変化して新しく作られることの方が断然多い。しっかりとしたものを作ろうと思えばその土台、伝統的な部分が重要になってくる。文学然り音楽もまた然り。
他の音楽にも当てはまるかもしれないが、一般的に言われているジャズは特に伝統と革新を大切にしてきた音楽であり、その歴史を学ぶことと演奏することはイコールであると言われている。確かに思い当たる事は多く、自身の演奏を聴き返してもジャズの歴史を感じさせる要素はあまり多くない。過去に林栄一さんのフリーはジャズと言えるが阿部薫はジャズとは言えないという意見をどこぞの爺さんから聞かせてもらったことがある。この場合は演奏者の価値観の違いが前提にあるため比較して良いものかは疑問であるが、ジャズ、フリージャズというカテゴリー上で話した場合には確かにそうなるであろう。スタンダード(伝統)を消化しているのがジャズであるとどこぞの爺さんは言いたいのであり、あまりすっきりはしなかったが相手に伝えやすい点でそこは納得してあげた。なぜすっきりしなかったか。ジャズは決してそれだけではないはずだからである。
場所、時間、音楽、文章。現在たくさんのものを同時に作っているが、実のところ自分の土台を上手く活かしきれていないように感じている。
気が付けばこのアルバムを長く聴いている。伝統を引き継ぎながら革新へと向かい始めたロリンズの初々しさがとても気持ちよく伝わってくる1枚。夏目漱石をチャーリーパーカーに例えるのもいかがなものかと思うが、そうなると芥川龍之介、宮沢賢治、井伏鱒二的な立ち位置になるのか?ここ辺りで1度自身の土台を見つめ直し、心機一転したいものである。さて、馬鹿な話は置いといて働くことにするか。