巷ではシティポップがブームであるらしい。

なんでも、海外でもマニアがたくさんいるそうだ。

シティポップとは、70年代~80年年代にかけて日本で起こった、いわば歌謡曲の一派だろう。有名なところで言えば、「ナイアガラ」。つまり、大瀧詠一とか、山下達郎あたりの話だろうと思うのだが、現在のブームはもっと広いらしい。全然知らないアイドル歌手のレコードが高額で取引されたりしている。このままでいけば80年代そのものがシティポップ化してしまいそうな勢いである。



歴史がそうであるように、ポップカルチャーも繰り返している。

80年代は60年の、90年代は70年の蒸し返しであった。

2000年以降、その蒸し返しの世代は混沌としてさえすれ、結局はどこかの世代を繰り返してきただけだ。

もはや、全く新しいカルチャーは生まれないのではないかとさえ思える。



しかし、だ。それは不幸ではない。

どんな歴史も繰り返しでしかない。ひとは繰り返す歴史を辿ってきた。

本当に全く新しいポップカルチャーは生まれないのか?

その答えはアートの辿ってきた道にある。

アートは常に守りと新陳代謝の繰り返しであった。

その中に突如として革命児が生まれる。

革命児が生まれる土壌とはいつも保守である。保守的な土壌が芳醇であればこそ、革命児は生まれる。

私たちはそれを待っている。

この大きな矛盾を抱えながら、私たちは日々を生活している。



シティポップの再ブームはそんな歴史を思い起こす。

歴史そのものを意識させる。

歴史とは、矛盾の連続なのだ。

今日もまた新しいシティポップが生まれている。

私たちはそれをいつも見ている。

                                        書き手 ek


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